てげてげせんせー

どうも、きょういくなんでもやです

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    なぜ、走るのか?~自分にとっての「走る」とは?~

     

     1 はじめに

     「なぜ、走るのか?」

      長距離選手なら、誰でも問われる問い。

     「きついのに~」「楽しいの?」「そこまでする?」

     みなさんも、一度は考えたことないですか?

     「持久走とかなんでやるの?」みたいな。

     「なぜ?」には、興味から懐疑的な意味まで様々だ。

     

     さて、このタイミングで「走る」ことに向き合う機会をくれたのは、

     愛しのじんぺーくんだ。

    twitter.com

        そうだ、エモいブログも紹介しておこう!

     どういう意図で、尋ねてきたのか分からないが、おそらく前者(興味)からだと思う。

     そして、新しいスタートを切る自分に、ここらで自分のストーリーを振り返っておけば?という意味だと勝手に解釈し、今書いている。

    twitter.com

     

     2 「走る」の定義

     「走る」とは、「run」以外にもある。

     「人生はマラソンだと思っていて、「go」とか「progress」とか「develop」とかいろんな意味を内包している。(ここの感覚はまだ整理できていない。今後やる。)

     何が言いたいかというと、ぼくにとっての「走る」は、生きるそのものだということ。

     

     先日、尊敬する井上先生(戦う小学校の先生スイマー)が、こんなツイートしてくれました。ありがとうございます。

      「走る」はまさに、人生そのもの

     行動して、考えて、書いての繰り返しで今の自分をつくってきたように思う。

     こうやって、応援してくれる方がいるから、走り続けることができるのかもしれません。 

     

    3 ぼくにとっての「走る」意味とは

    ‬ 10個ブレーンストーミングしてみた。
    ‪①自己表現の場‬
    ‪②走らされている‬
    ‪③捨てられない‬
    ‪④囚われている‬
    ‪⑤未練たらたら‬
    ‪⑥過去を清算したい‬
    ‪⑦輝ける場‬
    ‪⑧呪縛からの解放‬
    ‪⑨これ以上のものに出会えてない‬
    ‪⑩異なるレースで戦うところがない

     思うがままに出てきたものなので、ありのままの今の自分。

     まちがいなく言えることは、①「自己表現」だ。

     自分の存在や価値を示すのに、1番適していたのが、走ることだった。

     ただ、整理できそうなものもあるので、次でまとめてみる。

     

    4 なぜ、走るのか?

      振り返れば、ぼくの中での走る(run)は、走る中で変化してきていることに気付いた。それこそが、ぼくにとっての「走る」なのかもしれない。

    〇 好き→武器(幼少期~小学生)

     単純に運動が好きだった幼少期。

     学校に入ると、競争原理が働き、速いものが勝つ。

     足は速かったので、この”競争レース”では、自分の存在を際立たせることができた。

     走ることが、自分の存在や価値を最大化する武器になっていた。

     アレですよ、小学生だとあるあるのやつ。

     足が速くて勉強できる子がモテちゃうやつ。

     

    〇 武器(走る)に折り合いを(中学校~高校)

     小さなコミュニティでは勝てても、大きなコミュニティでは勝てない。

     県代表の合宿で、実力の差を見せつけられた。

     彼らは、今も日本を代表するランナーだ。

     日本選手権で優勝し、オリンピックを目指すものもいる。

     彼らといると、劣等感しか感じない。

     どうやっても勝てないのだ。

     そもそも比べるのがおかしいと思った。 

     だから、自分の武器は、身の丈に合ったフィールドで磨いていこう。

     受験もそうだが、競争社会で存在価値を示そうとすると、ゴールが1番しかなくなる。

     ここで自分は、人との競争レースをやめて、自分の武器に折り合いをつけた

     加えて、誰かのために走るということにも気付けた。

     「頑張る勇気をもらった」

     「ありがとう」

     など、自分の走りに期待したり、感動したりしてくれる仲間もいた。

     応援してくれる家族や地域の人がいた。

     だから、競争レースからすぐ降りれたのだろう。

     そして、自分が輝けるフィールドを探しにいくことにした。

     

    〇 武器(走る)との葛藤(大学~社会人1年目)

     「なぜ、走るのか?」と真剣に向き合い出したのは、この頃から。

     目標を達成するために、日々のトレーニングをこなす。

     きついトレーニングの達成感で、1日の充実度も上がる。

     自己bestで走れたのはこの時期だ。

     1番速く走れたと同時に1番走れない時期が多かった。故障で走れない時期の方が多かった。

     走ることで存在価値は示せるが、走れないと存在価値を示せない。

     この現実にぶち当たったのだ。

     「走れなくなったとき、自分はどうすればいい?」

     社会人になり、先生というステキな仕事に出会い、この問いは解決された。

     やりがいのある仕事に満足していたからだ。

     しかし、思うのだ。

     「今まで、何のために走ってたのか?」

     「今まで、あれだけやってきたものを、簡単に捨てていいのか?」

     サンクコストに囚われているのだ。

     (▼大学時代の話はこちらへ)

    初任者へのおすすめの一冊Vol.21「 走って、悩んで、見つけたこと。 」@神前さんresketch.wordpress.com

     

    〇 武器(走る)を捨てたい(~今)

     皮肉にも、走ることを捨てるために、走っているのだ。

     正直、走ることはもう楽しくもない。キツさしかない。

     多少の達成感はある。でも、オフの日の方が圧倒的に充実している。

     しかし、自分が納得する形で終わりたい。

     過去を清算し、新たなスタートを切るために今、走っている。

     それが、誰かのためになるかもしれないし、何より自分のためになると信じて。

     

    〇 結論 「なぜ、走るのか?」

     「自分の存在価値を確かめる」

     これが答えかもしれない。

     走ることで存在を誇示していた自分。

     その存在を捨て去ろうとする自分。

     新しい自分を見つけに行く自分。

     「自分」とは何か? 

     その答えを探すために、走り続けるのだろう。 

     

    5 さいごに

     「run」としての走るは終わったとしても、これから向き合い続けることになる問いだと思う。そして、走っていく中で、答えが見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。

     ただ今言えることは、「run」を終わらせるために「run」しながら、走ってるということ。

     走り切ってみないと、きっとわからないから。

     この1年は、徹底的に「run」と向き合うことにする。

     きついトレーニングの日は「#ざるrun」でツイートします。。。

     応援よろしくお願いいたします。

    「スタンダード」で「ぼく」が生まれた

    はっきり言ってスタンダードは嫌いだ。

    型通りに型通りにってうるせーなと思ってた。(謙虚にいこうね)

     

    ‪先生やってるとき‬
    ‪学習指導要領(CS)確認しんどいなと思うことがあった‬。
    ‪CSなんて要らんって思うこともあった‬。

    ‪先生辞めて何の縛りもなくなった今‬
    ‪CSのありがたさに気付く‬。
    ‪無くなって初めて実感するんだ‬。
    ‪「何を教えるか」‬
    ‪0から考える難しさも分かった‬。

    ‪そしていつのまにか‬
    ‪CSを振り返る自分がいた‬。

     

    ‪0から教育を考えるって難しい‬。
    ‪CSや「スタンダード」はすごく役立つ

    固執するのは反対だけど‬
    ‪目の前の子どもに柔軟に対応するのがプロの教師だから‬。
    ‪だけど‬
    ‪初任者や自信のない先生は‬
    ‪目の前の子どもを置き去りにしない程度に「スタンダード」を参考にし‬
    ‪少しずつ自分の色をだしていけばいいんじゃないかな?

     

    ‪1番の教育専門家は教師であってほしい‬。
    ‪プロのプライドをもってほしい‬。
    ‪これがぼくの強い想いだ‬。

    ‪だけど‬
    ‪"子ども"の1番の教育専門家は「親」だ‬。

    ‪親はCSやスタンダードなど‬
    ‪教育の「道しるべ」がない‬。
    ‪自分の被教育体験に頼るしかない‬。
    ‪「何を教えるか」の拠り所がない‬。

    ‪家庭教育にもスタンダードがあれば?


    ‪家庭教育の質を担保できるのではないか?‬

    ‪でも‬
    ‪項目多すぎてもストレスになる‬。
    ‪「何を教えるか」ではなく‬
    ‪「どう教えるか」のスタンダードがあれば‬
    ‪親も少しは安心して教育を楽しめるのではないか?

    ‪そうすれば‬
    ‪「教育は学校にお任せ」なんては言葉消えるかもしれない‬。

     

    ‪ではなぜ先生時代‬
    ‪スタンダードがイヤだったのか?

    ‪"スタンダードのスタンダード"があったからだ‬
    自治体,学校独自のやり方で‬
    ‪目の前の子どもを置き去りにし思考停止したパターンのスタンダード‬。
    ‪あんなの教育じゃない飼い慣らしだ‬。

    ‪子どもは人間だ‬
    ‪ロボットじゃない‬
    ‪心があるんだ‬。

    ‪でも今ならやれるはず‬。

     

    ‪どっぷり浸かった学校文化を外から眺めてきた今なら‬
    ‪学校文化に染まったように見せかけて染まらず動ける気がする‬、
    ‪いい感じに学校色が抜けてバランスがとれてきている感覚はある‬。
    ‪でもまだだ‬。
    ‪1年でぼく個人は変わったとしても‬
    ‪学校文化が変わっているはずもない‬。
    ‪文化を整えるには相当な時間を要するから‬。

     

    ‪まだ外から眺めていこう‬。
    ‪少しずつ学校もうかがっていこう‬。
    ‪時間がかかるんだ‬。
    ‪時間がかかるのが当たり前なんだ‬。

    ‪この前提を手に入れた今‬
    ‪自分にできることは何か?‬
    ‪ターゲットのニーズは何か?‬
    ‪やるべきことは何か?‬
    ‪用意周到に積み重ねていく必要がある‬。

    ‪準備と覚悟ができたとき‬
    ‪ぼくは公教育に戻るだろう‬。

     

    ※学習指導要領は「縛り」ではないです。

    しっかり読み込めば分かります。

    縛っているのは自分自身でしかないです。

     

    ゴリゴリ体育会系の先生が1年目で病みかけたがなんとか乗り切った話

     

    はじめに

     はじめましての方もいると思うので、まずは自己紹介を。

    f:id:runrungogo8931:20200307214339j:plain

     堅苦しいことはだいぶ苦手なので、徒然なるままに書いていこうと思います。

     ちなみに「てげてげ」とは、鹿児島弁で「テキトー」という意味です。

     

     最初に断っておきますが、この文章はあくまでほんの一例です。

     信じすぎないようにしてくださいね。

     あと、細かい話を聞きたい方は遠慮なくメッセージください☺

     ぜひ、お話しましょう!

     

     それでは、いきまーす。

     

    1年目で何が起きたか

     <身体面>

    ・5キロ太る

    ・顔がこける

    ・毎月熱発

     

     <精神面>

    ・人を避けるようになる

    ・彼女とも会いたくない

    ・夢でも仕事してる

     

     なぜこんなことになってしまったのか?

     学生時代と教員1年目の生活を月ごとに振り返っていこうと思います。

    (ちなみにぼくは先生という仕事がイヤで辞めたわけではありません。苦しいこともありましたが、基本的には楽しかったです。)

     

       教員0年目

     先生に憧れて先生になることしか考えずに学生時代を過ごしました。

     陸上競技部に所属し、心と身体をいじめ抜く長距離をやっていました。

     よく聞かれることは、「なんで走るの?」です。(これは、後日ブログにまとめます。)

     部員がどんどん辞めていき、最後まで残った同期は2人でした。

     要は、ゴリゴリの体育会系の理不尽感満載だったわけです。

     過剰な練習に苦しみ、故障を繰り返しながらも、なんとか乗り切ることができました。

     とはいえ、部活しかせず付け焼き刃の教採の勉強で10倍くらいの倍率をくぐりぬけ、一発合格しました。

     ちなみに、先生として赴任するまでほぼ何も勉強せず、まっさら状態。

     根性だけは自信があるよって感じです。あとは子どもにちょっと人気かもって感じ。(教育実習の自己満)

     さあ、いよいよ先生デビューです。

     正直、キラキラした先生生活をイメージしてたので、ギャップがハンパなかったです。

     

    4月

     夢と希望しかなかったのに、社会人の洗練を浴びることに。

     分からないことが分からない。

     とにかく夜遅くまで仕事して、その日その日をなんとか乗り切る生活。 

     多忙すぎて正直記憶ありません。

     でも、子どもたちがいるからなんとか学校に行けました。

     このときからすでに、病み始めてました。

     金曜日の夜から土曜日の朝は死んだように寝てました。

     そして、土日も学校へ向かう生活。

     じゃないと、仕事が終わらなかったです。

     授業や事務作業、初めてのことばかりで、何も知らないから、めっちゃ時間かかるんですね。

     なんとかGWまで!

     気合いで乗り切りました。

    5月

     GWは、YouTubeみすぎて1日で速度制限かかりました。廃人です。

     病みを象徴する出来事として、出張から念願の直帰を狙った日、保護者から電話がありました。

     「ウチの子、いじめられてます...」

      ここで病んでる人は、こう思いました。

    「え、早く帰りたいのに。」

     こう思った自分にドン引きしました。

     (あとから思うとギリギリ正常です。まだメタ認知働いてる)

     結局は、いじめではなくお互いの揉め事だったので、なんとか大丈夫でした。

    6月

     学年主任のクラスが崩壊し始めます。

     「やばい、自分もこうなるかも」と思い、教育書にすがり始めます。

     研究授業前日に夜中3時まで模擬授業しました。指導教諭もつきっきりで。

     一生忘れません。

     初の研究授業は、思ったよりうまくいきました!(最初にしては)

     あとは記憶ありません。

    7月

     あんまり記憶なし。

     一人ひとりに通知表を手渡ししたことしか。

     1学期の打ち上げを病院でむかえる。

     点滴うちました。

    8月

     知らない間に夏休み終わってました。

     でも100冊以上は本読みました。

     2学期の授業の貯金をつくりました。

    9月

     体調がいいのも最初だけ。

     でも、夏休みの貯金があるから心には少し余裕が。

     運動会などの行事に追われる毎日。

    10月

     記憶なし。

    11月

     記憶なし。

     たぶん研究授業した。

    12月

      初めての教育論文に取り組む。

      冬休みなんてない。

    1月

     上を向いたら天井がぐるぐる回ってた。

     病院で点滴。

     はじめて病休という制度を知る。

    2月

     研究授業終わって一安心。

     初任研も終わりが近付く。

    3月

     毎日1年の終わりをカウントダウンする。

     クラス解散に涙する子もいた。

     やっと終わった。

     

    補足

     子どもの姿がまったくでてこないし、記憶ないとこ多いし、自分中心でしか見えてない。

     自分が生きることで精一杯だった。

     

    よくなかったところ

    ・準備不足(学生)

    →どうしようもない

    ・同僚に頼れなかった

    →遠慮してしまった

    ・睡眠をかなり削った(1日5時間〜4時間)

    メンタルヘルスがやばかった

     

    よかったところ

    ・隣の先生と指導の先生が神だった(運)

    →隣の先生は、ぼくより1つ前の授業をして、板書や教材研究の資料をくれた

    →指導の先生は、いわゆるスーパーティーチャーで、熱男だった

     

    ・教育書を読みまくった

    →付け焼き刃のノウハウで子どもたちとは楽しく過ごせた

     

    ・子どもたちとの関係性がよかった

    →どんなにキツくても子どもたちを否定はしなかった

     

    結論

    助けを求められる人間を目指そう

    →みんなと仲良くする必要はないけど、同僚としてコミュニケーションはとろう。

     

    を読んで引き出し増やそう

    →答えは現場にしかないけど、本を読んで手札を増やしておけば、心にゆとりがでる。

     

    さいごに

     ぼくの場合は、うまくいっているときほど、記憶が曖昧になっていました。

     大切なことが埋れているかもしれません。

     毎日とは言いません。

     何かしら、自分を客観視するための記録をとっておくと、冷静に自分を見つめられたり後から振り返ったときに、成長を実感できたりするかもしれません。

     

    常体も敬体も混ざった駄文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました😊

    ※ブログはこちらに移転しました!

    ▼新しい教育情報ブログ

     

    お話してみたい、聞いてみたいことがあるって方は、遠慮なく連絡してください。

    →連絡先@run_run.go_go | Linktree

    先生は「正解」なんて求めちゃいけない

    f:id:runrungogo8931:20200222233450j:image

    正解見つけたと思ってもまた問題は出てくる
    また問題の正解見つけたと思ってもまた問題は出てくる

    その繰り返しを繰り返す

     

    結局のところ
    「正解」にはたどり着かない
    「正解」と思った時点で止まってしまう
    いわゆる思考停止の始まり

     

    この前提がある人は
    変化し続けられるしこの時代を生き抜ける

    「正解」なんてないよ

     

    より正解に近付くためには「今」を把握することからスタートした方がいい
    自分の置かれている状況,能力,体調,対する相手など,その時々の「今」によって「正解」は変わるから

     

    「今」よりちょっと上の自分を探し続ければ,「正解」の範囲を広げることができる

     

    現実維持マインドほど自分の可能性,他者の可能性を閉鎖的にするものはない

     

    なぜ現状維持したくなるのかは,変化への恐れ


    みんな自分は自分でいたいし,変化は今までの自分を否定していることになると勘違いする

     

    そうではなくて,今の自分は過去の自分も含めて自分だから消えることもない
    なんなら,過去の自分がなければ今の自分はない

    そうやってつながっていくものなんだ

     

    ・失敗に不寛容な風土

    ・失敗救済システムの脆弱さ

    ・失敗経験値の少なさ
    この3つが変化を阻害している

     

    今の学校教育の悪影響だ
    常に正解を求められ,チャレンジしにくい環境

     

    先生は当然,被教育体験がなければ,教えることも伝えることもできない
    先生こそ,変化し続けれるマインドが重要なのに

     

    先生は

    ・教えるというよりも見せるもの
    ・姿で語る
    ・自己開示する

    子どもにとっての先生はある種「正解」となる
    (そのマインドすら変えていくけど)

     

    教育方法の一歩手前の"在り方"が問われるのはそういうこと

     

    ぼくの在り方が「正解」とは思わないけど
    そういう先生が代替不可能で重宝される時代になるはず

     

    マイノリティだからって不正解ということはない
    マジョリティが不正解のこともある

    ◯✖️クイズだってそうじゃないか

     

    何が言いたいかというと
    周りの顔色気にしてばかりで
    周りに合わせてばかりいると
    本当の正解を見失ってしまうんだよ

    もうそこに自分はいない
    そしてもう自分には戻れなくなる

     

    っていう独り言のような話

    生き方の選択肢を広げる鹿児島の教育コーディネーターになる

     はじめまして。

     神前 洋紀(@rungorungo_)と申します。

     鹿児島を教育からよりよくすべく、教育コーディネーターを目指し、活動しています。

         f:id:runrungogo8931:20200317093924j:image

     2020年4月、鹿児島の人と情報をつなぐプラットホーム&パワースポット『「」(No Name)』スクールを創設します。

     『「」(No Name)』の名前は「  」”余白”です。

     ここには、通ってくださるみなさま一人ひとりが、ここへ通う意味や価値を吹き込んでほしいのです。

     だから、名前はありません(No Name)。

     通ってくださる一人ひとりによって、名前は変わるということです。

     

     そんな場所をつくりたいと思っているぼくは、『「」(No Name)』スクールを創設することにより、鹿児島の教育コーディネーターになろうと考えています。

    . 鹿児島の教育コーディネーター?

    ◯WHAT◯「教育コーディネーターとは?」

     あなたは、「教育」と聞いて、どんな場所が思いつきますか?

     学校?地域?家庭?塾?教育委員会文部科学省

     教育は、学校だけで行われるものではなく、様々なコミュニティやセクターがかかわっています。

     そして、教育は、誰もが少なからず経験する営みです。

     なぜなら、教育は様々なところで行われていますし、生きている限り一生続くものだからです。

     子どもたちはもちろん、大人になってからも。

     このように、様々な場所や年代で行われている教育を「つなぐ」役割を果たすのが教育コーディネーターです。

         f:id:runrungogo8931:20200317093957j:image

    ◯WHY◯「なぜ、鹿児島の教育コーディネーターに?」

     ぼくは、鹿児島県の教員として5年勤めました。

     先生になりたくてなったぼくが、学校の先生を辞めるとき、「バカなの!?」「そんなの無理でしょ!」と周囲の大多数から猛反対されました。 

     ぼくの生まれ育った鹿児島は、伝統を重んじ、古き良き価値観を大切に生活する人が多いです。とても保守的。

     その一方で、新奇性や多様性を受け入れる風土に欠けるところがあるとも感じます。

     上司や上からの要請には、忠実に答えようとする真面目さは素晴らしいです。

     ところが、主体的なchangeやchallengeに対する抵抗感が大きく、「やりたい!」と思うことを「やりたい!」と言いにくい空気になっているのではないかと感じます。

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     何も伝統を重んじなくていいということではありません。

     当たり前や常識から逸れたことを排除せず、包み込んでもいいのではないかと思うのです。

     「へぇ~!」「おもしろそうじゃん!」「協力するよ!」「応援するよ!」と。

         f:id:runrungogo8931:20200115164456j:plain

     なぜ、それができないのでしょうか?

     いつのまにか、学校や社会や大人の要請によって、「こうあるべき」という価値観に縛られてしまい、行動できなかったり、息苦しさを感じたりしている人もいるのではないかと思うのです。           

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     そして、いつしか、考えることを止め、周りに合わせて自分を押し殺しながら生活していくのです。

     ぼくも、その一人でした。

     だからこそ、ぼくは、ぼくの人生を賭けて伝えていきたいのです。

     

     圧倒的に「何か」に縛られて生きる人たちに。

     学校も先生も子どもも保護者も見えない「何か」に縛られています。

     その「何か」を払拭したいのです。

     

     そのためには、まずぼくが、生き方の選択肢を示す生きる教材になる必要があります。

     「誰も動かないなら、ぼくが動くしかないでしょ!」  

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     ぼくがやろうとしていることは、目先の学校教育の変革ではなく、人生を賭けたキャリア教育なのです。

     一人の人間として、どうすればよりよく生きることができるか?

     大人とか子どもとかそんなのは関係なくて、誰かの人生の一つの選択肢になれればそれでいい。

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     いつだって、どこでだって、自分の人生は「何か」に縛られることなく、自分で決めることができるという選択肢を「ぼく」という人間が示そうと思うのです。

     人生は、学校の教育だけで完結することはありません。誰もが自明の事実です。

     だからこそ、学校、行政、民間、地域など、教育にかかわる様々な立場の方をつなぎ、結び付ける役割(コーディネーター)が必要だと思うのです。

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     鹿児島にその役割を担う団体や人がいらっしゃれば、ぜひ教えていただきたいです。

     そして、ぼくとつなげていただきたいです。

     このように、ぼくが、鹿児島の教育コーディネーター的立場となり、自分自身の生き方やぼくのつながりで魅力的な生き方をしている人をつないでいこうと思うのです。
     

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     その一歩として、昨年ぼくは、鹿児島県沖永良部島で、放課後デイサービスやフリースクールの運営をしながら、公立の学校現場に入っていました。

     学校でも学校でなくても、子どもたちが自分らしく輝ける場づくりを行い、学校とフリースクール(民間)をつなごうと動いていました。

     (詳しくはこちらの記事を)

    runrungogo8931.hatenablog.com

     最近、学校のブラック化や不祥事がメディアで目立っています。

     確かに、学校教育の現状に疑問点はありますが、否定はしません。

     学校はよさを残しつつ、アップデートしていけばいいと思っています。

     正直、今の学校のシステムは限界にきているし、先生方もこれ以上頑張れないほど働いています。

     そんな先生方をエンパワーするために始めたのが、「鹿児島zoom会」です。鹿児島の先生方や教員志望学生を中心に、週1回、ビデオ会議をしています。

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     鹿児島を教育からよりよくしようとしている仲間たち一人ひとりをつないできました20名弱のメンバーがいます。

     ここに集まる鹿児島の先生方は本当に熱く、向上心のある方ばかりです。

     それでも、なかなか学校の現状は厳しいようで、みなさんそれぞれに葛藤を持ちながら、現場で奮闘されています。

     ぼくは、そんな鹿児島の仲間たちを応援したいのです。

                   f:id:runrungogo8931:20200122000518p:plain

     学校の現状は、学校だけで変えていくことは難しいと考えています。

     地域の方の協力や外部リソースの活用が不可欠となってきます。

     そこで、ぼくが、様々なコミュニティやセクターの方々をつないでいけたらと思っています。

     

     このように、今後も、学校も先生も子どもも保護者も学び方や生き方の選択肢が増えることを願い、教育コーディネーターとして活動していきたいと思っています。

     

    ◯HOW◯「どのような活動をするか?」
     (1)ぼくがつくりたいもの

     ぼくは、学校に夢を見ていました。学校の先生として、おもしろい授業をして、いっぱい遊んだり、イベントで盛り上がったり、笑いの絶えない学校生活をエンジョイするつもりでした。

     それは大方達成しました。

     でも、学校の仕事はそれだけではありませんでした。

     「これ、子どもたちのためになるの?」ということもあり、

     「ぼくは、学校の先生になりたいわけではなかったんだ。」と気付きました。

           f:id:runrungogo8931:20200121235250p:plain

     そこで、ぼくがつくりたいものは、N 高やゼロ高のようにバカでかい影響力はなくてもいい、公立学校でも応用可能な学び場(『「」(No Name)』スクールです。

     

     何も特別なことはするつもりはありません。

     当たり前に、「子どもたちのため」になるものをシンプルに行います。

     コンセプトとしては、「自由に学べること」。

     

     具体的には、「学びたいことを学びたいときに学びたい場所で学びたい人と」。

     子どもたちがワクワクすることをとことん追求できるようにすることが、「子どもたちのため」です。

     子どもたち一人ひとりが、今を楽しみ、将来に生かすことのできるコンテンツやスキルを身に付けていくようにしていくのです。

            f:id:runrungogo8931:20200122155645j:plain

     

     そのために、オンラインとオフラインのコラボレーションを図ります。

            f:id:runrungogo8931:20200122150008j:plain

     学習の基礎基本は、チョーク&トーク形式(黒板を使った一斉指導)だけではなく、インターネットを使って、一人ひとりに合ったペースで。

    <(例)e-board:学年教科ごとに動画で授業を受けることができる(第11回e-Learning大賞文部科学大臣賞)>

    info.eboard.jp

     

     もしくは、学習指導要領に準拠した学習内容の精選された教材(ドリル等)で。

     <(例)〇年生たったこれだけプリント:小学校全学年の学習内容を網羅>

                    f:id:runrungogo8931:20200122150239j:plain

     しかし、これからの時代は、こういった基礎基本の学習に加え、想像力や創造力がより求められるようになってきます。

     暗記型の答えを覚える学習ではなく、社会に出たときに出合うであろう答えのない問いに対して、最適解を見出していく学習こそ、これからの時代に必要なことです。

        f:id:runrungogo8931:20200122152919j:plain 

     たしかに、高度経済成長期には、言われたことを言われた通りにすばやくこなすことが求められていました。

     しかし、世はVUCA時代。先は読めず、正解のない時代になってきています。

     ITやテクノロジーが急速に発展している今求められるのは、急速な変化に対応し、その時々に答えを見出していくクリエイティブさです。

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    https://port.creww.me/event/14462 引用

     このような時代に対応していくために必要な学習は、自分や身の回りにある課題や問題に対して、周囲と協働して解決していく探究的な学びです。

     探究的な学習では、インターネットで情報を集めたり、実際に現場に行ったり、実験をしたりしながら進めていきます。

     チームでプロジェクトを組み、仲間同士で計画を立てたり、課題を分析したり、成果を発表したりしながら、学び合って進めます。

        f:id:runrungogo8931:20200122160120j:plain 

     このように、学年やクラスを解体し、自分の興味やレベルに合った学習を進めていくことを大切にしていきたいです。

     いつでも、どこでも、だれでも、学ぶことができるようにしたいのです。

     今や、インターネットを駆使すれば、いくらでも学習できるようになってきました。それを活用しない手はありません。

      こうやって、一斉画一から脱却した自分らしく学ぶシステムが整います。
     

     自分らしく学ぶということは、自分の学びのスタイルを見つけていくプロセスです。

     つまり、自分の人生を生きるということ。

              f:id:runrungogo8931:20200122161946j:plain

     「これって、普通に学校でもできない?」

     「なぜ、やらないの?」

     圧倒的に「何か」に縛られていると感じます。

     これらを払拭し、学び方や生き方の選択肢を広げるには、魅力的なモデルを示すしかない。

              f:id:runrungogo8931:20200122162130j:plain

     そこで、子どもたちには、早いうちから魅力的な人や情報に数多く出会ってほしいと考えています。

     今やyoutube やzoom で会おうと思えばいつでも会えます。

     時間、場所問わず、会いたい人に会い、情報を収集できる時代になってきました。

     このように、魅力的な人から学ぶ学習も取り入れていきます。

     

     何度も繰り返しますが、普通に公立学校でもできると思っています。

     それを、ぼくが『「」(No Name)』スクールで実現していきます。

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    (2)ぼくが実現したいこと

      学校外教育コミュニティ(フリースクール等)と学校のシームレス化
     学校との境界線をなくします。学校を自由に行き来できるようにします。

     そうすることにより、子どもも先生も保護者も多様な教育にふれることができます。学びの選択肢も生き方の選択肢も広がります。

     

    2 学校外教育コミュニティの外部委託
     適応指導教室って、名前からして行きたくなりますか?

     フリースクールなら、もっと行きやすくなるのではないかと思います。

     外部委託により、フリースクール等が公立化すれば、金銭面の課題がクリアになり、利用料が下がればさらに行きやすくなります。

     

    3 通信制学校プラットホーム(ホームスクーリング支援)
     学校に行かなくても学べるようにします。

     メンターとして、学び方を教えたり、時には通学してもらい、異年齢同士で学び合ってもらったりします。

     学校に行かなくても、学び方も生き方も選択肢が広がるという選択肢を示すことができます。

     

    4 教育カフェ
     いつでも教育について語れる場をつくります。

     子育てに悩む保護者や教育イベントをしたい学生など多様な人との交流ができるようにします。

     ふらっと立ち寄れる憩いの場にもなり、多様な人々の交流は、人とのつながりも生まれ、価値観を広げたり、深めたりすることになり、生き方の選択肢を広げる可能性もあります。

     

    5 教育セクターとの連携

     1~4を叶えるためには、圧倒的に人が足りないです。

     かつ、明確なビジョンをもつ魅力的な人が集まったら、ワクワクしませんか?

     このニーズを満たす団体と連携したい 。

     ぼくが教員コーディネーターとして、連携したい三団体を紹介します。

     

     ①「TFJ (Teach For Japan )」

    「教室から世界を変える」と明確なミッションを掲げるTeach For Japan。

     教員免許の有無を問わず、独自の選考を突破した方のみ、連携自治体で特別免許状が交付され、講師として働くことができます。

     多種多様な個性をもった先生方が、圧倒的人手不足の学校を救うこと間違いなし。

    teachforjapan.org

     

    ②「lightful」

     「日本の学校教育を変えたい」という想いと熱量と行動力が圧倒的。EdTech分野で今後ますます活躍が期待されます。

     また、学校へのインターンシップ制度も実装しており、働き方改革にも着手しています。

     かの有名な麹町中学校でも、出前授業を行うほど、信頼性と勢いがあります。

    gakusei-kichi.com 

     

     ③「Teacher aide」

     「教員一人ひとりを幸せに」という究極のビジョンを掲げる学生団体。

     教員の働き方を考える学生ならではの発信が共感を集め、現在全国の教育大学を中心に26支部130名の学生が活動を行っています。

     自立分散型の団体で、各支部が教育イベントを行うなど、教育熱の熱い仲間が集っています。

    teacher-aide.com

     

     ぼくが、全て(1~5)実現し、一人の人間として誰かの人生の選択肢になれればいいと思っています。

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     これが、ぼくの教育コーディネーターとしてのmissionです。

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     3. さいごに

     この記事をお読みいただきありがとうございます。

     もし、気になる!話を聞きたい!協力したい!という方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。大人も子どもも立場も専門性も関係ありません。みなフラットです。

     以下のキーワードにピン!ときた方の連絡をお待ちしております。

     

    ▼こんなことに興味ある方とつながりたい▼

    ・教育コーディネーター

    ・生き方の選択肢

    ・キャリア教育

    フリースクール

    通信制(N高)

    不登校

    ・学びの個別化協同化プロジェクト化

     

    ▼特にこんな方とつながりたい▼

    ・鹿児島の教育に興味のある方

    ・通信教育(N高など)関係者

    不登校でお悩みの方

    ・教育コーディネーターとしての実績がある方

    ・キャリア教育専門の方

    ・講演、執筆などお仕事の依頼をしたい方

    ・全般的にぼくをサポートしてくださる方

     

     みなさんとのステキなつながりにワクワクしております! 

         f:id:runrungogo8931:20200317094617j:image

     以下、ぼくの各種SNSです。どの媒体からでも連絡可です。

     連絡お待ちしております!

    Twitter

    twitter.com

    Instagram

    https://instagram.com/run_run.go_go

     

    Facebook

    https://www.facebook.com/profile.php?id=100006771221478

     

     早速、鹿児島でイベントもします。

    f:id:runrungogo8931:20200128225243j:image

    ▼詳細・申込はこちら

     

     最後まで読んでいただきありがとうございました!

    自分探しの旅は終わりなき旅

    先生を辞めて思うのは

    「どんな自分でありたいか?」

    が決定的に欠けていたこと。

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    これしかない!と思って先生になったが、本当にやりたいことではないと思ったから辞めた。

    仕事は、在り方の手段。

    本当にやりたいことは

    やりたい!ワクワク!を応援すること。

     

    なぜ、先生という仕事ではワクワクできなかったのだろう?

    誰かのやりたいを応援できなかったのだろう?


    1日中、子どもたちと楽しく授業をして、日々成長していく子どもたち。学級では、必死に話合いをしたり、イベントで盛り上がったり。学級崩壊をしていた子たちも、応援し合う学級になった。

     

    こんなに日々ワクワクする先生という仕事から、ワクワクが薄れていったのは、いつからだろう?

    何が原因だったんだろう?


    やりたくて休日出勤もしていたし、

    900人分の体力調査の結果分析報告も1日かけてでも犠牲感を拭うことができていた。

    そこに「やりがい」はたしかにあった。

    なぜだろう?

     

    やればやるほど授業もうまくなるし、子どもたちも成長していくし、それがぼくにとってのワクワクであり、やりがいだった。

    対外的な研究会などで他の先生方からも認められる機会も増えた。

    これからどんどん楽しくなるな〜?

    もっと研究していきたいな〜!

    そう思っていた。

     

    3年目くらいからだろうか?

    やればやるほどよくなっていくと同時に、任される仕事が増えてきた。

    信頼の証として捉えるべきなのかもしれないが、ぼくにとってはそうじゃなかった。


    「これって、何の意味があるの?」

    「本当に子どもたちのため?」

    「もっと子どもたちのためにできることあるでしょ」

     

    そういう視点をもってしまったら、改善点ばかりが見えてきて、「当たり前」と思っていたことも、当たり前とは思えなくなってきた。

    今まで以上に外に出てみた。

    Twitter上の情報は、拍車をかけた。

    ぼくはこれまで思考停止していたんだと。いや、思考停止していたままの方がよかったのかもしれない。

     

    でもなんとかしなくては!と思っても、なんともできない自分の無力さ、未熟さに気付いてしまった。

    牙城を崩していこう!と思っていたけど、それは間違いで、一緒につくっていかないといけなかった。

    こういう課題があって、こうすればよくなっていくという正論では逆効果。そこに「心」がなかった。

     

    自分がいい実践をすれば、子どもたちの圧倒的な姿を見てもらえれば、自ずとよくなっていくだろうと。

    でも、学校にはいろんな先生がいて、それぞれの文脈があって。

    ぼくは、そこに対する配慮が足りていかなかったのだと思う。

    「あなたはできても、他の先生はできるの?」その意味が今なら分かる。

     

    先生という仕事に就いた以上、できることは、プライドをもってほしいと思うことはあった。

    毎年学級崩壊したり、校務分掌を持たなかったりと。

    でもその先生たちは、自分で精一杯なんだと。明らかに「余裕」がない。

    学校を変えなきゃ!の前段階があった。

    まずは、同僚の働きやすさからだと。

     

    しかし、いくらパートナーシップをとったとしても、絶対的な仕事量が減らないと、気持ちの負担は減っても、実質的な負担は減らない。

    その意味で働き方改革は急務で、単純に勤務時間減らしましょうではなく、"生産性"の追求が必要。

    先生も子どもたちもワクワクするには、"生産性"を上げなければ。

     

    「教師たるもの、生産性追求なんて」と言っている人はおいといて、

    少ない時間でより結果を出す

    「努力をすればするほど結果が出る」も真だけど、今の学校のシステムにはそぐわなくなってきている。

    今は転換期。

    生産性の追求に心を込める。

    学校は、機械生産のような効率だけではない。

     

    学校には、「」の心がある。

    ICTやAIが発展しており、使えるところはもちろん使う。

    でも、最終的には、人と人で。

    人のつながり

    心あるものが動く。

    子ども、先生、保護者、地域。

    いろんな人たちのつながり。

    そういった意味で、

    「社会に開かれた学校」はコンセプトとしてはいい。

    でも、聞いてみると、実は地域にもそんな余裕はないというではないか。

    自分の生活が精一杯で、話し合ってる暇はないと。

    教育は学校にお任せで責任はもちたくない。

    どこのコミュニティもそういう問題はあるのか。

    みんな自分が生きるのが精一杯。

    となると、

    ぼくにできることはなんだろう?

    (いまここ)

     

    半年後の人生さえ見えていないぼくだけど、来年は学校に戻りたいと思っている。一つのコミュニティだけでは解決しない。いろんな人のいろんな考えを反映させるには、複数の居場所に属していて、「つなぐ」役割が必要だと。

    そうだ!

    ぼくは「つなぎたい」んだな〜

    ということがここ最近見えてきた。

    f:id:runrungogo8931:20190912205605j:image

    っていう2ヶ月前の自分。

    これからは本格的に学校現場のお手伝いをさせてもらえそうかな。

    少しずつ少しずつ妄想がカタチになっていく。

    でも、まだまだ終わらないし、きっとこれからも終わることはないんだな。

    この自分探しの旅は。

     

     

    追記


    原体験が大切っていう言葉が心に残りまくってるんだけど、

    先生時代の学級だよりの名前は、

    リレー〜継〜」でした。

    今も気付けばそうで。

    ぼくは、「つなぐ」ことを大切にしているんだなと。

    何かを壊そうとしていたけど、そうじゃなくて、これからもつなぐことを大切にしていこうと思う。

     

    We want to create "New school" which can make all chirdren happy!!

    Hello!

    We are running a free school in Okinoerabe Island, our name is Hiroki Kamimae (@rungorungo_) and Tomotaka Jige (@tomofinedu) .

    f:id:hamu-cute120:20190624181631j:plain

    We are working on setting up a free school with local people in order to create a "New school" where everyone can become happy on *Okinoerabu Island.

    Location in Okinoerabu

     1. A new school in Okinoerabu island ?

    "What is a free school?"

    A free school is a place where children who can not go to public school for some reason, for instance, bullying,mental problem,feel stress among many people and so on.They spend free school instead of primary school, junior high school and high school. We accept children who have various backgrounds and needs, such as school refusal and withdrawal from school, as well as minor developmental disorders, physical disabilities and intellectual disabilities, and provide a place for learning.

    ▼ The school building of Okinoerabu island will open in July 

    f:id:hamu-cute120:20190624192007p:plain

     Why do you need a free school on the island?

    As the current situation, there are about 30 (1 in about 33) school refusal students in elementary and junior high schools all over Okinoerabu Island. Some of the school refusal students in Okinoerabu have some children who attend administration's adaptive instruction classes, but in the end most of them spend at home.

     Because in the adaptation classroom, it is forced to learn by all means, and the school refusal children do not feel comfortable there. As a present situation, in the field of school refusal support, we are also troubled, and there is a current situation where it is difficult to take a step forward.

    f:id:hamu-cute120:20190630004358p:plain

    If it is a city, children who do not go to public school can also go to a local sports club or take lessons like cram school or English conversation school. But in small community like Okinoerabu, it's difficult to make place to study except public school for students who can't go to school.  

    f:id:hamu-cute120:20190630005223p:plain

    When I was thinking about what to do in order to create a learning environment tailored to each children who lives in island, I want to make a free school where to connect  between public school and school refusal children in the island” ... and I moved to Okinoerabu from this April!

     How to solve school refusal through free school?

    Taking advantage of the small community of Okinoerabu island , a new partnership between free school and public school is about to be born. At the present, it is too much for teachers to respond to the needs of each of the 40 students in a simultaneous class of school (all students doing the same learning content in the same course). As the times change, the needs of each and every child are diversifying, and it is becoming more difficult for schools alone to meet their needs. 

    However, most of the current situation is that learning at places other than schools (free schools etc.) has not yet been approved (not treated as attendance). This has become strongly related to school refusal support as being a major factor that gives “school refusal = negative impression”.

    f:id:hamu-cute120:20190630010129p:plain
    In reality, it is difficult to support each person individually at school, but there is also a conflict that school can not leave everything to an external educational institution. The reason is that there is no precedent and no model. Therefore, our first mission is to create a free school  that students can learn with confidence at other than public school, and spread the sense of values ​​to the area of ​​Okinoerabu Island "No school refusal = not negative" "No school refusal = Necessity of making environmental tailored to the child" . To that end, we are working to become a center role that supports children in collaboration with the school and administration of Okinoerabu island.

    Then, in the free school we will create from now on, let's think with an example of a boy with a school refusal, taking as an example a way to support children of school refusal.

    f:id:hamu-cute120:20190630010906p:plain

    ( Example of a boy who has a tendency to go out of school ) 

    1. I can not understand learning ← Support start in Finland

    2. I feel that class becomes boring.

    3.  Teacher will be angry for student.

    4.  I would not like to go to school

    5.  school refusal ←  Support start in Japan

    In the case of this trend, Japanese schools will start to support students  who is  school refusal tendencies at the stage of 5. However, in Finland, everyone can receive individualized support at the public schools at the stage 1. In order to create such an environment in Japan as well, educational institutions such as free schools need to cooperate with the administration. 

    f:id:hamu-cute120:20190703114700p:plain

    In this case, the child has not been refused school yet, but if the child's needs are "I do not want to go to school because I do not understand the study at school,"then students can study at free school once a week. And If kids can receive individual study in a place like free school, kids will be able to understand studying and kids will be able to attend public schools again. By attending a free school, it is possible to support such students early, without increasing the burden on the teachers of the school.

    In the case of the Netherlands, some children attend multiple schools. You can go to the school in the group class four times a week and go to the school for individual learning once a week, etc. You can choose the school according to the child. We would like to expand the educational environment in which parents and educational institutions can work together well.

    2. What we want to create is a school where every one's dream can be realized and everyone can feel happy

     We have compiled a one-minute video about our dreams, so please take a look!

     


    Nagatomo Dream

    During my second year at university, I participated in a volunteer for learning support at Okinoerabu island and talk about issues in the educational environment of the island with people there.  when it was heard about that "Education in Japan is seemed high quality in the world, but if you look at remote islands, there is relative poverty in Japan,", I was shocked and came to think deeply about education.

     "I live on an island, so I can not learn what I want to learn."

     "I can't learn what I want to learn because we have no money at home."

     "I have to help my family, so I can only enter high school in the island."

     In this way, I remember that I felt that it was not fair that poverty chained intergenerationally because there is a difference of opportunity to learn by the area and home environment where it was born.

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    The educational opportunities tailored to each should be given equally to all children.

     Are there people around you who have no choice for learning outside of school? 

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    As early as developmental delays appear in kindergarten, they are beaten at home and they become unfamiliar with school. Currently, even when viewed nationwide, the number of school refusal children in elementary and junior high schools reached 140,403 (an increase of 10,348 compared to the previous year), reaching 140,000 for the first time since the start of statistics, and updating the largest number. Did. (Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology is 2017 "problems in student instruction such as problem behavior of students / school refusal") The ratio of school refusal to all children students is 0.54% in elementary school and 3.25% in junior high school Because of this, one in 184 primary school children and one in 30 junior high school students will be out of school.

    This is the current situation in Japan.

    We do not know when someone will be absent from school. It may be said that children of familiar people such as sisters and friends do not want to go to school tomorrow. That's why many people, including those involved in education, need to spread “understanding of correct education” and to create various educational opportunities for children who grow up on even remote islands, so we started free school here. 

    The name of free school which we have launched is 'An'. "An" is a coined word meaning "to create an educational opportunity for all children" or "to support each kids". 

    f:id:hamu-cute120:20190704105551p:plain

    Working in a finnish school, the more I knew about Japan's current situation, the more I needed to broaden the choces of Japanese public education. We will create educational institutions that can be shared with schools and families in the community.

    In this Nagatomo dream, if we get funds, in addition to the free school, introduce the N center (N high school) to our school, in the educational environment to expand the range of learning options for each person's self-realization.

    (Model of the student who goes to N high school)

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    There are only Okinoerabu high school (ordinary department and commercial department) . Some students want to go out of the island in order to learn specialized things, but some families have difficulty in going out of the island with the help of family business. If we introduce a correspondence high school, kids will be able to study for each future while remaining local. In the Amami archipelago where we live, not only Okinoerabu, but also neighboring islands have similar task. This is one of the examples, and I hope that it will lead to the improvement of the educational environment even remote islands in the near future.

    "If you don't fit in with the school, let's study another environment that suits the child," and "Learning to learn in environments other than school can also be an option!" For a child who feels stress in a small space of school, I think that there will be more adults who can show the choices of life that the child hope.

     3. Use of funds

    The funds received at Nagatomo Dream will be used by the Okinoerabu area for the introduction of N high.

    1. Two high school entrance scholarship students from Okinoerabujima = 1.5 million
       N high tuition fee = 1.5 million yen

    2. Capital investment for introducing high N = 300,000 yen

    3. Free school operation fee = 1 million
       Teaching materials costs (including online learning materials "Surara"): 200,000 yen

    4. Other expenses = 200,000 yen

    4. Message from members

    Hiroki Kamimae 

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    I thought, "How would everyone be excited?" I worked as an elementary school teacher for five years. I thought that the most exciting thing for the children was "with people who want to do where they want to do what they want to do". However, there was only one sense of incongruity.

    "Everyone has to do the same thing the same way." The moment the excitement disappears from the children is tremendous. It is my pleasure to see the children are excited.

    I would like to create a school where everyone can support each other's excitement. I believe this excitement will always be the power to live in the future.

    Jige Tomotaka

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    “I would like to increase the number of schools that everyone can be happy by expanding educational opportunities tailored to each person, regardless of the environment or region where I was born!” As the first step, I am currently working in Kagoshima prefecture where I was born and raised. As for why I chose the island of Okinoerabu, I visited Okinoerabu Island three times while in school and engaged in learning support volunteers for the children of the island to know the attractiveness and problems of the educational environment of the island It becomes. After that, while studying as a teacher at a Finnish school site for six months while studying at a school, I made a plan on a “new school” that meets the environmental needs of Okinoerabu and learned about the ideal way of education. In collaboration with rocal people, we have launched a free school.

     

    It may be difficult to achieve it alone, but I think that it will be absolutely possible with the cooperation of the people who can spread this new value together.

     

    "I would like to expand a school where everyone can feel happy from Okinoerabu!"

     

    Thank you for your cooperation!

     

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