自分探しの旅は終わりなき旅
先生を辞めて思うのは
「どんな自分でありたいか?」
が決定的に欠けていたこと。
これしかない!と思って先生になったが、本当にやりたいことではないと思ったから辞めた。
仕事は、在り方の手段。
本当にやりたいことは
やりたい!ワクワク!を応援すること。
なぜ、先生という仕事ではワクワクできなかったのだろう?
誰かのやりたいを応援できなかったのだろう?
1日中、子どもたちと楽しく授業をして、日々成長していく子どもたち。学級では、必死に話合いをしたり、イベントで盛り上がったり。学級崩壊をしていた子たちも、応援し合う学級になった。
こんなに日々ワクワクする先生という仕事から、ワクワクが薄れていったのは、いつからだろう?
何が原因だったんだろう?
やりたくて休日出勤もしていたし、
900人分の体力調査の結果分析報告も1日かけてでも犠牲感を拭うことができていた。
そこに「やりがい」はたしかにあった。
なぜだろう?
やればやるほど授業もうまくなるし、子どもたちも成長していくし、それがぼくにとってのワクワクであり、やりがいだった。
対外的な研究会などで他の先生方からも認められる機会も増えた。
これからどんどん楽しくなるな〜?
もっと研究していきたいな〜!
そう思っていた。
3年目くらいからだろうか?
やればやるほどよくなっていくと同時に、任される仕事が増えてきた。
信頼の証として捉えるべきなのかもしれないが、ぼくにとってはそうじゃなかった。
「これって、何の意味があるの?」
「本当に子どもたちのため?」
「もっと子どもたちのためにできることあるでしょ」
そういう視点をもってしまったら、改善点ばかりが見えてきて、「当たり前」と思っていたことも、当たり前とは思えなくなってきた。
今まで以上に外に出てみた。
Twitter上の情報は、拍車をかけた。
ぼくはこれまで思考停止していたんだと。いや、思考停止していたままの方がよかったのかもしれない。
でもなんとかしなくては!と思っても、なんともできない自分の無力さ、未熟さに気付いてしまった。
牙城を崩していこう!と思っていたけど、それは間違いで、一緒につくっていかないといけなかった。
こういう課題があって、こうすればよくなっていくという正論では逆効果。そこに「心」がなかった。
自分がいい実践をすれば、子どもたちの圧倒的な姿を見てもらえれば、自ずとよくなっていくだろうと。
でも、学校にはいろんな先生がいて、それぞれの文脈があって。
ぼくは、そこに対する配慮が足りていかなかったのだと思う。
「あなたはできても、他の先生はできるの?」その意味が今なら分かる。
先生という仕事に就いた以上、できることは、プライドをもってほしいと思うことはあった。
毎年学級崩壊したり、校務分掌を持たなかったりと。
でもその先生たちは、自分で精一杯なんだと。明らかに「余裕」がない。
学校を変えなきゃ!の前段階があった。
まずは、同僚の働きやすさからだと。
しかし、いくらパートナーシップをとったとしても、絶対的な仕事量が減らないと、気持ちの負担は減っても、実質的な負担は減らない。
その意味で「働き方改革」は急務で、単純に勤務時間減らしましょうではなく、"生産性"の追求が必要。
先生も子どもたちもワクワクするには、"生産性"を上げなければ。
「教師たるもの、生産性追求なんて」と言っている人はおいといて、
「少ない時間でより結果を出す」
「努力をすればするほど結果が出る」も真だけど、今の学校のシステムにはそぐわなくなってきている。
今は転換期。
生産性の追求に心を込める。
学校は、機械生産のような効率だけではない。
学校には、「人」の心がある。
ICTやAIが発展しており、使えるところはもちろん使う。
でも、最終的には、人と人で。
人のつながり。
心あるものが動く。
子ども、先生、保護者、地域。
いろんな人たちのつながり。
そういった意味で、
「社会に開かれた学校」はコンセプトとしてはいい。
でも、聞いてみると、実は地域にもそんな余裕はないというではないか。
自分の生活が精一杯で、話し合ってる暇はないと。
教育は学校にお任せで責任はもちたくない。
どこのコミュニティもそういう問題はあるのか。
みんな自分が生きるのが精一杯。
となると、
ぼくにできることはなんだろう?
(いまここ)
半年後の人生さえ見えていないぼくだけど、来年は学校に戻りたいと思っている。一つのコミュニティだけでは解決しない。いろんな人のいろんな考えを反映させるには、複数の居場所に属していて、「つなぐ」役割が必要だと。
そうだ!
ぼくは「つなぎたい」んだな〜
ということがここ最近見えてきた。
っていう2ヶ月前の自分。
これからは本格的に学校現場のお手伝いをさせてもらえそうかな。
少しずつ少しずつ妄想がカタチになっていく。
でも、まだまだ終わらないし、きっとこれからも終わることはないんだな。
この自分探しの旅は。
追記
原体験が大切っていう言葉が心に残りまくってるんだけど、
先生時代の学級だよりの名前は、
「リレー〜継〜」でした。
今も気付けばそうで。
ぼくは、「つなぐ」ことを大切にしているんだなと。
何かを壊そうとしていたけど、そうじゃなくて、これからもつなぐことを大切にしていこうと思う。