てげてげせんせー

どうも、きょういくなんでもやです

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    「友だち幻想」から学校について考える

    「友だち幻想」を読んでいる途中。

    早く読み進めたいが、メモ程度に残しておく。

     

     

    学校は、同調圧力の共同体だ。

    菊池先生の言葉でいうと、

    集団ではなく、群れだ。

     

     

    出る杭は打たれる

    空気を読まないと排除される

     

     

    そんな教室になっていないだろうか?

    そんな職員室になっていないだろうか? 

     

    おそらくだが、そんな職員室になっている学校は、そういう教室がいくつかあるに違いない。

     

     

     

    この根本は、"つながりの不安"が起因するようだ。

    もっとその根底を探ると、"幸福の在り方"に起因するようだ。

     

    人は、何に幸せを感じ、どんなときに幸せを感じるのか?

     

    友だちがいないと不幸せなのか?

    一人だとかわいそうなのか?

     

    1年生になったら〜友達100人できるかな

    末恐ろしい価値付けだ。

     

    リースマンの内部指向型のように、心の羅針盤は、他者でも、外の雰囲気でもなく、自分の内にある。

    アドラーに通ずるものを感じた。

     

    私は、学級開き後、タイミングを見て、必ず伝える。

    「仲良くする必要はないと思う。うまく付き合おう。どういう意味か分かる?」

     

    これは、現段階では間違ってないと思う。

     

    職員室もこうあるべきではないか?

    学校で、"人とのつながり"に悩んでいるのは、子どもよりも、教員ではないか?

     

     

    学校をよくするには、自分の学級だけを考えれば、授業の充実だ。

    しかし、学校全体を考えると、教員のつながり方の改革が必要だ。

     

    嫌われる勇気は、ここに通ずるものがある。

     

    教員同士が仲良くする必要はない。うまくやらねばならない。

     

    そこで、教員は

    学級をよくすることに、授業を充実させることだけに、集中してみてはどうだろうか?

    余計な事を考えずに済まないように。

     

     

    それが、子どもたちの幸せ。我々の幸せ。学校の幸せにつながるのではないか。