なぜ、走るのか?~自分にとっての「走る」とは?~
1 はじめに
「なぜ、走るのか?」
長距離選手なら、誰でも問われる問い。
「きついのに~」「楽しいの?」「そこまでする?」
みなさんも、一度は考えたことないですか?
「持久走とかなんでやるの?」みたいな。
「なぜ?」には、興味から懐疑的な意味まで様々だ。
さて、このタイミングで「走る」ことに向き合う機会をくれたのは、
愛しのじんぺーくんだ。
そうだ、エモいブログも紹介しておこう!
どういう意図で、尋ねてきたのか分からないが、おそらく前者(興味)からだと思う。
そして、新しいスタートを切る自分に、ここらで自分のストーリーを振り返っておけば?という意味だと勝手に解釈し、今書いている。
2 「走る」の定義
「走る」とは、「run」以外にもある。
「人生はマラソン」だと思っていて、「go」とか「progress」とか「develop」とかいろんな意味を内包している。(ここの感覚はまだ整理できていない。今後やる。)
何が言いたいかというと、ぼくにとっての「走る」は、生きるそのものだということ。
先日、尊敬する井上先生(戦う小学校の先生スイマー)が、こんなツイートしてくれました。ありがとうございます。
走る・考える・書くの繰り返しで未来をつくっている人。
— 井上拓也#戦う小学校の先生 (@tack517) 2020年3月14日
共に戦っていると思ってます。 https://t.co/fc1aVzxmls
「走る」はまさに、人生そのもの。
行動して、考えて、書いての繰り返しで今の自分をつくってきたように思う。
こうやって、応援してくれる方がいるから、走り続けることができるのかもしれません。
3 ぼくにとっての「走る」意味とは
10個ブレーンストーミングしてみた。
①自己表現の場
②走らされている
③捨てられない
④囚われている
⑤未練たらたら
⑥過去を清算したい
⑦輝ける場
⑧呪縛からの解放
⑨これ以上のものに出会えてない
⑩異なるレースで戦うところがない
思うがままに出てきたものなので、ありのままの今の自分。
まちがいなく言えることは、①「自己表現」だ。
自分の存在や価値を示すのに、1番適していたのが、走ることだった。
ただ、整理できそうなものもあるので、次でまとめてみる。
4 なぜ、走るのか?
振り返れば、ぼくの中での走る(run)は、走る中で変化してきていることに気付いた。それこそが、ぼくにとっての「走る」なのかもしれない。
〇 好き→武器(幼少期~小学生)
単純に運動が好きだった幼少期。
学校に入ると、競争原理が働き、速いものが勝つ。
足は速かったので、この”競争レース”では、自分の存在を際立たせることができた。
走ることが、自分の存在や価値を最大化する武器になっていた。
アレですよ、小学生だとあるあるのやつ。
足が速くて勉強できる子がモテちゃうやつ。
〇 武器(走る)に折り合いを(中学校~高校)
小さなコミュニティでは勝てても、大きなコミュニティでは勝てない。
県代表の合宿で、実力の差を見せつけられた。
彼らは、今も日本を代表するランナーだ。
日本選手権で優勝し、オリンピックを目指すものもいる。
彼らといると、劣等感しか感じない。
どうやっても勝てないのだ。
そもそも比べるのがおかしいと思った。
だから、自分の武器は、身の丈に合ったフィールドで磨いていこう。
受験もそうだが、競争社会で存在価値を示そうとすると、ゴールが1番しかなくなる。
ここで自分は、人との競争レースをやめて、自分の武器に折り合いをつけた。
加えて、誰かのために走るということにも気付けた。
「頑張る勇気をもらった」
「ありがとう」
など、自分の走りに期待したり、感動したりしてくれる仲間もいた。
応援してくれる家族や地域の人がいた。
だから、競争レースからすぐ降りれたのだろう。
そして、自分が輝けるフィールドを探しにいくことにした。
〇 武器(走る)との葛藤(大学~社会人1年目)
「なぜ、走るのか?」と真剣に向き合い出したのは、この頃から。
目標を達成するために、日々のトレーニングをこなす。
きついトレーニングの達成感で、1日の充実度も上がる。
自己bestで走れたのはこの時期だ。
1番速く走れたと同時に1番走れない時期が多かった。故障で走れない時期の方が多かった。
走ることで存在価値は示せるが、走れないと存在価値を示せない。
この現実にぶち当たったのだ。
「走れなくなったとき、自分はどうすればいい?」
社会人になり、先生というステキな仕事に出会い、この問いは解決された。
やりがいのある仕事に満足していたからだ。
しかし、思うのだ。
「今まで、何のために走ってたのか?」
「今まで、あれだけやってきたものを、簡単に捨てていいのか?」
サンクコストに囚われているのだ。
(▼大学時代の話はこちらへ)
初任者へのおすすめの一冊Vol.21「 走って、悩んで、見つけたこと。 」@神前さんresketch.wordpress.com
〇 武器(走る)を捨てたい(~今)
皮肉にも、走ることを捨てるために、走っているのだ。
正直、走ることはもう楽しくもない。キツさしかない。
多少の達成感はある。でも、オフの日の方が圧倒的に充実している。
しかし、自分が納得する形で終わりたい。
過去を清算し、新たなスタートを切るために今、走っている。
それが、誰かのためになるかもしれないし、何より自分のためになると信じて。
〇 結論 「なぜ、走るのか?」
「自分の存在価値を確かめる」
これが答えかもしれない。
走ることで存在を誇示していた自分。
その存在を捨て去ろうとする自分。
新しい自分を見つけに行く自分。
「自分」とは何か?
その答えを探すために、走り続けるのだろう。
5 さいごに
「run」としての走るは終わったとしても、これから向き合い続けることになる問いだと思う。そして、走っていく中で、答えが見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。
ただ今言えることは、「run」を終わらせるために「run」しながら、走ってるということ。
走り切ってみないと、きっとわからないから。
この1年は、徹底的に「run」と向き合うことにする。
0317
— ざる🐵「 」No name school (@rungorungo_) 2020年3月17日
・1000×5(3'25±3)
アップのときは,接地の感覚が戻ってきた感じがあっていい感じだった.
いざ,走ると,全然かみわない.
フォームもペースもバラバラ.
ただ,1本集中の感覚は増してきた.
ペースは全然遅いけど,比べてもしょうがない.
今の自分を受け止めて走るしかない.
1年後を見据えて.#ざるrun
きついトレーニングの日は「#ざるrun」でツイートします。。。
応援よろしくお願いいたします。