てげてげせんせー

どうも、きょういくなんでもやです

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    なぜ、走るのか?~自分にとっての「走る」とは?~

     

     1 はじめに

     「なぜ、走るのか?」

      長距離選手なら、誰でも問われる問い。

     「きついのに~」「楽しいの?」「そこまでする?」

     みなさんも、一度は考えたことないですか?

     「持久走とかなんでやるの?」みたいな。

     「なぜ?」には、興味から懐疑的な意味まで様々だ。

     

     さて、このタイミングで「走る」ことに向き合う機会をくれたのは、

     愛しのじんぺーくんだ。

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        そうだ、エモいブログも紹介しておこう!

     どういう意図で、尋ねてきたのか分からないが、おそらく前者(興味)からだと思う。

     そして、新しいスタートを切る自分に、ここらで自分のストーリーを振り返っておけば?という意味だと勝手に解釈し、今書いている。

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     2 「走る」の定義

     「走る」とは、「run」以外にもある。

     「人生はマラソンだと思っていて、「go」とか「progress」とか「develop」とかいろんな意味を内包している。(ここの感覚はまだ整理できていない。今後やる。)

     何が言いたいかというと、ぼくにとっての「走る」は、生きるそのものだということ。

     

     先日、尊敬する井上先生(戦う小学校の先生スイマー)が、こんなツイートしてくれました。ありがとうございます。

      「走る」はまさに、人生そのもの

     行動して、考えて、書いての繰り返しで今の自分をつくってきたように思う。

     こうやって、応援してくれる方がいるから、走り続けることができるのかもしれません。 

     

    3 ぼくにとっての「走る」意味とは

    ‬ 10個ブレーンストーミングしてみた。
    ‪①自己表現の場‬
    ‪②走らされている‬
    ‪③捨てられない‬
    ‪④囚われている‬
    ‪⑤未練たらたら‬
    ‪⑥過去を清算したい‬
    ‪⑦輝ける場‬
    ‪⑧呪縛からの解放‬
    ‪⑨これ以上のものに出会えてない‬
    ‪⑩異なるレースで戦うところがない

     思うがままに出てきたものなので、ありのままの今の自分。

     まちがいなく言えることは、①「自己表現」だ。

     自分の存在や価値を示すのに、1番適していたのが、走ることだった。

     ただ、整理できそうなものもあるので、次でまとめてみる。

     

    4 なぜ、走るのか?

      振り返れば、ぼくの中での走る(run)は、走る中で変化してきていることに気付いた。それこそが、ぼくにとっての「走る」なのかもしれない。

    〇 好き→武器(幼少期~小学生)

     単純に運動が好きだった幼少期。

     学校に入ると、競争原理が働き、速いものが勝つ。

     足は速かったので、この”競争レース”では、自分の存在を際立たせることができた。

     走ることが、自分の存在や価値を最大化する武器になっていた。

     アレですよ、小学生だとあるあるのやつ。

     足が速くて勉強できる子がモテちゃうやつ。

     

    〇 武器(走る)に折り合いを(中学校~高校)

     小さなコミュニティでは勝てても、大きなコミュニティでは勝てない。

     県代表の合宿で、実力の差を見せつけられた。

     彼らは、今も日本を代表するランナーだ。

     日本選手権で優勝し、オリンピックを目指すものもいる。

     彼らといると、劣等感しか感じない。

     どうやっても勝てないのだ。

     そもそも比べるのがおかしいと思った。 

     だから、自分の武器は、身の丈に合ったフィールドで磨いていこう。

     受験もそうだが、競争社会で存在価値を示そうとすると、ゴールが1番しかなくなる。

     ここで自分は、人との競争レースをやめて、自分の武器に折り合いをつけた

     加えて、誰かのために走るということにも気付けた。

     「頑張る勇気をもらった」

     「ありがとう」

     など、自分の走りに期待したり、感動したりしてくれる仲間もいた。

     応援してくれる家族や地域の人がいた。

     だから、競争レースからすぐ降りれたのだろう。

     そして、自分が輝けるフィールドを探しにいくことにした。

     

    〇 武器(走る)との葛藤(大学~社会人1年目)

     「なぜ、走るのか?」と真剣に向き合い出したのは、この頃から。

     目標を達成するために、日々のトレーニングをこなす。

     きついトレーニングの達成感で、1日の充実度も上がる。

     自己bestで走れたのはこの時期だ。

     1番速く走れたと同時に1番走れない時期が多かった。故障で走れない時期の方が多かった。

     走ることで存在価値は示せるが、走れないと存在価値を示せない。

     この現実にぶち当たったのだ。

     「走れなくなったとき、自分はどうすればいい?」

     社会人になり、先生というステキな仕事に出会い、この問いは解決された。

     やりがいのある仕事に満足していたからだ。

     しかし、思うのだ。

     「今まで、何のために走ってたのか?」

     「今まで、あれだけやってきたものを、簡単に捨てていいのか?」

     サンクコストに囚われているのだ。

     (▼大学時代の話はこちらへ)

    初任者へのおすすめの一冊Vol.21「 走って、悩んで、見つけたこと。 」@神前さんresketch.wordpress.com

     

    〇 武器(走る)を捨てたい(~今)

     皮肉にも、走ることを捨てるために、走っているのだ。

     正直、走ることはもう楽しくもない。キツさしかない。

     多少の達成感はある。でも、オフの日の方が圧倒的に充実している。

     しかし、自分が納得する形で終わりたい。

     過去を清算し、新たなスタートを切るために今、走っている。

     それが、誰かのためになるかもしれないし、何より自分のためになると信じて。

     

    〇 結論 「なぜ、走るのか?」

     「自分の存在価値を確かめる」

     これが答えかもしれない。

     走ることで存在を誇示していた自分。

     その存在を捨て去ろうとする自分。

     新しい自分を見つけに行く自分。

     「自分」とは何か? 

     その答えを探すために、走り続けるのだろう。 

     

    5 さいごに

     「run」としての走るは終わったとしても、これから向き合い続けることになる問いだと思う。そして、走っていく中で、答えが見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。

     ただ今言えることは、「run」を終わらせるために「run」しながら、走ってるということ。

     走り切ってみないと、きっとわからないから。

     この1年は、徹底的に「run」と向き合うことにする。

     きついトレーニングの日は「#ざるrun」でツイートします。。。

     応援よろしくお願いいたします。