発達に練習と本番は必要ない。(『ユーモア的即興から生まれる表現の創発』)
続↓
【ブログ更新(再)】
— ざる🐵てげてげセンセー (@rungorungo_) 2019年2月1日
『ユーモア的即興から生まれる表現の創発』
著者の赤木先生(@akagiteaching )にリツイートしていただきました。
非常に恐縮、、、😓
ただ、下書きにあと2本貯めてます。
土日でまとめてブログにアップします!
✅「練習と本番は必要ない」
✅「遊び心と創造性と反骨精神」 https://t.co/iR4RgjeCKv
もっと言葉の練習しなさい!
って、
赤ちゃんに向かって言わないですよね?
なるほど、そういうことか、、、
パフォーマンス自体が学びであり、発達につながる。
練習も本番もないってことですな。
練習も試合もないんだ。
走るのは自己表現。
喜びを解放すればいい。
この境地までいけば、試合やレースで緊張することないんだろうな。
確かに、練習感覚で出るレースは、いい走りができることがほとんど。
心の持ちようも大切なのかも。
また、話が逸れる。
戻して、戻して。↓
ユーモア的即興から生まれる表現の創発 発達障害・新喜劇・ノリツッコミ
- 作者: 赤木和重,砂川一茂,岡崎香奈,村上公也,麻生武,茂呂雄二
- 出版社/メーカー: クリエイツかもがわ
- 発売日: 2019/01/29
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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遊びが学びに欠かせないわけが分かった気が。
(読んでないけど)
本番と練習の区別がつかない遊びが作り出すパフォーマンス空間。
普通、本番は完成した形をただディスプレイするように考えられています。
しかし、即興では、本番でもさらに変化し作品の意味がさらに成長していきます。
普通の学校や学級ならば、練習を何度もして本番や学力テストでどれだけの成果が出せるかを競います。
つまり、練習と本番が切り離されてしまいます。
これは、学習と発達がバラバラにされることを意味します。私たちは、学習と発達を別のものと見るようになってしまっていますが、それは、学校に特殊なやり方をいつの間にか当たり前に受け取るようにされてしまっているのです。
実際の生活では、練習と本番は必要ありません。赤ちゃんの言葉の成長過程を思い出してみてください。私たちはカタコトでしか話せない赤ちゃんに、もっと練習しておいで。とは絶対にいません。日本語の文法を勉強してこい。もっと単語暗記しろ。などとは絶対にいません。毎日の片言のパフォーマンスが、学びであり、同時に発達になっているんです。
全てはひと続きになっている。
って、こういうことも言うのかもしれない。